これまでのしろうべえ書房を振り返って
- shirobeeshobo
- 2015年12月30日
- 読了時間: 4分
しろうべえ書房が忙しくなってきて、
そろそろホームページもちゃんとしなきゃあなぁ、
と思ってる間にさーーっと一年が過ぎようとして、
今年の年末までには、と、なんとかこのホームページを間に合わせたような次第でございます(制作 社員敷島)。
現在、12月は30日の17時過ぎ。
本日餅つきが終わり帰ってきたのが15時過ぎで、帰ってきて大急ぎでホームページ用の残りの素材を作って、敷島にネットで送り、そして今第一回目のこのブログを書いてるような状況でございます。
本日19時からは、しろうべえ書房 社員忘年会。
でもなんとかすっきりした気分で締めくくりたいですね。
この一部分からみても、いかにしろうべえ書房が今年忙しかったかが分かります。
しろうべえ書房を発足して今年で3年目(もう今年は終わりますが)。
発足前の一年は、ぶらぶら日本のいろんな地域イベントを漫遊し色んな人と会いました。
発足から一年は、怒涛の忙しさ。一人で作家集めから印刷製本機材の調達、本の編集、印刷丁合製本(これは家族みんなで)、納品、宣伝、販売、挨拶回り、イベントの開催(これには色んな方々の無償の協力がありました)、そして謝罪回り、エトセトラ。
作家とのメールのやりとりだけで一日が終わってしまったなんて日もたくさんありましたし、謝罪まわりだけで2ヶ月費やした(その間仕事も一切出来ず、故にその間収入もなし)なんてこともありました。
何度も精神が崩壊し、崩壊しながらも、一日24時間1秒も無駄にせず突っ走っていた、そんな1年でした。一度会っただけの人やその日会った人が連日連夜我が家に泊まりに来るというカオスな時代もこの時期です。
そして2年目には、なぜか上海から日本に来た若者がしろうべえに弟子入りし、そこからまた大きくしろうべえ書房も加速しましたね(彼曰く、インディペンデントな団体を探して来たのに、日本中のどこへ行っても小洒落ているだけで中身が無いものばかり、そんな中しろうべえ書房を見つけて鳥肌が立った、との事。僕が言ってるんじゃないですよ!)。
それでもまだしろうべえ書房自体の収入というのはほぼ0に近かった。弟子の給料も、ほぼ僕の別の仕事のバイト代から払ってましたから。
でも、印刷製本のシステムを出版社が自ら持つことを広める(自社が体現する)ことが、今から100年先の出版界を救うことにつながるんだという、なにか信念のような使命感のような、儲かっていなくともやりがいのようなものはずっと感じておりましたよ。
でもまだ忍耐の時期でしたね。
そして3年目にあたる今年。
一気に飛躍しましたね。
まだまだしろうべえ書房としての月収は10万にも満たないところ(他にも仕事はしている)なんですが、その1年前まではほぼ0でしたからね。10万歩くらい前進したのではないでしょうか?
あと、
“あと”なんていうのは失礼な勿体無い事柄ですが、今年結婚もしました。
生涯、浮いた話の一つも出たことのないしろうべえの結婚は、しろうべえを知っている人々みんなに衝撃をあたえました(すごく小さい世界ですが)。
あと、しろうべえ書房の記事が、今年は3回も京都新聞に掲載されたりYahoo!ニュースにも載ったり、あといろんなフリーペーパーやwebサイトの記事に載りました。
いろんなことが形として現れた1年間でした。
もちろん感謝しかないですね。
3年前までは、ただ、サラリーマン(サラリーマンを悪く言ってるんじゃないですよ)の方々や世間の方々から罵られるだけの(叱咤激励と言いなさい!)みじめな毎日から、今の生活は、本当に夢にも思っていませんでした。ウジのような身分であったと思います。夢が1mmも形にならない夢追い人などは。いつの時代も。それは身をもってそうでした。
もし今の現状に感謝していないなどと言う口が今あるならば、僕は即刻に死なないといけないと思います。
もう忘年会の時間です。
ではみなさま良いお年を!
しろうべえ
(了)
2015年12月30日 18:10
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