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そば切り(かけそばじゃない方の蕎麦のこと)の食い方について

日本の名随筆 (別巻19) 蕎麦 (単行本)

渡辺 文雄 (編集)

という本が素晴らしすぎるので、ひどくオススメしたい。

とはじめに言っておく。

ちなみに、日本の名随筆 (別巻)シリーズは、玉石混合なので全ていいというわけではないのでご了承を。というか編者もテーマもそれぞれ違うのでそれは当然といえば当然である。

以上を踏まえた上で本題に入るのだが、どうも、私個人的には、本作の中の蕎麦評論の中の、“つゆを少しだけつけて食うことが旨い”ということに対する批判のようなものが目に付く。肯定する作品も混ざってるので、それは編者の意図ではないので編者を批判するわけではないのだが、というか誰を批判するつもりもないが。それが目に付く。

なにか、世間全体で、正統で通ってるものをただ批判すればそれが本当の正統であるみたいな風潮ってありますよね?みたいなことを言いたくなってくる。そんな感じですごく嫌なのである。

僕の感覚で言えば、そば切りを蕎麦つゆにじゃぶっと浸して食べることは、何か、刺身にマヨネーズをつけて食べるくらい嫌なことなんで、そんなことを肯定するなんてことは有り得ない。天と地が逆さになっても有り得ない。味もまずいし、風情もない。風情は直接味覚にも作用するので、総じて…まずい!。

ちなみに、僕は(一人称が私になったり僕になったりしてすいません。あと蕎麦つゆになってりそばつゆになったりしてすいません。)そばつゆにそば切りをどっぷりめにつけて食べることもある。正確には、一口目そばつゆなしで食べて、二口目からそばつゆちょいづけでしばらく食べて、その次にたっぷりめにつけて何度か食べて、後は終わりまでちょいづけ食べる。途中何度かたっぷりめにつけることもあと数回くらいはある時もある。

今言った僕の蕎麦食いの流れは、実際僕が蕎麦をどんな食べ方をしているかを思い出しただけであって、蕎麦の食い方指南をしたわけではない。僕の実際の動作の中でも8割くらいは、蕎麦をそばつゆちょいづけで食べていることの確認である。

ちなみに僕は、昔小さい時は初めから終わりまで蕎麦つゆをたっぷりつけて食べていた。でも酒を、飲むようになると当然味覚が変わるので、蕎麦つゆは自然とつけるのが控えめになってきた。

山葵につゆを触れさしたくないという思いが一番比重としては強いのだが(山葵まったく効かなくなるので)、やはり味覚も変わっている。

酒も、焼酎飲みから日本酒飲みになるとまた味覚が変わるもので、やはり、日本酒に合うものを好むようになる。

その上で、そばつゆちょいづけに行き着いたということは、日本酒のせいなのかも知れない。

でも、今、忙しくて日本酒を1ヶ月くらい飲んでないが、やはり今はまだ蕎麦つゆをたっぷりつけることが旨い肯定派になれていない。

となると、人生の途中で日本酒の力を借りたとしても、やはり蕎麦つゆのつけ方は、ちょいづけが一番旨いというのが最終形態なのではなかろうか。

とはいえ、まだ日本酒を飲まないで1ヶ月たっただけなので、10年日本酒をやめた時の結果は無論分からない。

そんな色々なことを考えながら私は、そばつゆをちょいづけで食べることに対して批判する人間の感覚がわからないと今言っているのである。

文・しろうべえ

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